34、前半戦終了


 『四回表、朝間高校の攻撃は、二番セカンド大平君。背番号4。』

 アナウンスが応援の飛び交う喧しい球場に響き渡った。
 この回、朝間高校は再び四番の天岡まで回る。自然と高まった緊張感をほぐすように彼方此方から声が出る。



 阪野二高側のベンチでは俊が睨み付けるように選手達を見ていた。そのマウンドに自分がいられないと言う悔しさもあるけれど、今はそれ以上に苛立っていた。

 (自分は世話焼きのくせに、気ィ使ってばっかのくせに、逆は拒絶すんだよな。)

 自分の従兄弟は本当に馬鹿だと、心の中で吐き捨てた。
 隠し事をしている事を気付かれていると言う事に、本人は気付いてるんだか気付いてないんだか。普段なら、自分から秘密主義だと言うだけあるのだけども。

 (隠してるって言えば、禄高もだな。)

 ふと思い出す。崩すならそっちの方が早そうだと思ったがすぐに止めた。

 (禄高…は駄目だな。あいつは自分の事だったらすぐに吐くんだけど。)

 俊は苛立ち頭をくしゃくしゃにする。どうすればいいのか考えてみるがいい考えは浮かばない。それもその筈、いつもならこんな事は考えない。放っておくのに。
 こんなチームになったお陰で余計な事を考えるようになった。それまでは興味も無かったのに。このまま放って置いたらきっと取り返しの着かない事になると気付いていた。
 グラウンドでは考え込む俊を余所に、一年バッテリーが上手く大平を打ち取って先頭を切っていた。

 「ね、市河君。」

 俊は顔を上げる。声を掛けた紗枝はグラウンドに目を向けたままで言った。

 「裕、何か言ってた?」
 「はっ?」
 「何か。そっとしておいてとか。」
 「言われたのか?」

 紗枝は何も言わず首を振った。

 「あいつが何か隠してるのは俺も解る。」
 「…あたしは、大体察しが着くんだ。」

 俊は驚いたように目を見開く。だが、紗枝は変わらず淡々としていた。

 「でも、言わない。言えない。裕が言わないなら。…見てるしか、出来ない。」

 俊には、紗枝が一体何を言っているのか解らなかった。



 試合は順調に進んで行く。大平をセンターフライ、比和をサードゴロで打ち取るといよいよ朝間高校最強の打者に回る。
 四番、天岡は再びバッターボックスに立つ。一打席目と変わらず笑顔なのに、滝は寒気がした。その理由も未だに解らない。天才と呼ぶに相応しい実力があるのは解る。でも、何かが普通じゃない。その何かが何なのか滝には解らなかったが。



 一方、朝間高校ベンチは応援が盛り上がっている。それを後ろに聞きながら二宮はネクストバッターズサークルで目を伏せていた。ついさっきの、天岡の声が離れない。

――恵まれてる?…それを、俺に言うんか。

 あの目は、あの頃の目に近かった。もう二度と見る事は無いと思っていたのに、今でも天岡にとってあの頃の思い出は心の傷なんだろう。
 人は誰でも知られたくない過去があるもの。でも、二宮は天岡以上に辛い過去を持った人間に今まで出会った事が無かった。
 どんなに外面を取り繕っても、中身までは繕えない。天岡の中身はあのまま止まってしまった。壊れた時計のように動き出す事は無い。

 (あいつは、生涯そうやって生きていくしかないんか…。)

 俯いた二宮の耳に一つの高音が届いた。天岡が打席に立つ時聞こえるいつもの音だった。
 仲間の騒ぎ合う声。



 コーチャーがぐるりと手を回す。久栄が呆然としていた。二度目のホームランは、絶望にも等しかった。
 ベンチでは右京が伝令を出そうとし、グラウンドでは裕がタイムを取ろうとする。だが、久栄はすぐにいつもの表情に戻った。

――六回から俺が登板する。

 俊のその言葉だけが久栄を支えていた。その時まで、マウンドに立っていなければならないから。
 例え何回ホームラン打たれたって、皆が認めてくれるなら投げ続ける。例え仲間から睨まれたって、滝がいるならそこに投げる。
 勝てるなら、何を犠牲にしたって構わない。皆の為に。
 久栄は拳を握り締めた。その時。



 「久ー栄ッ!」

 禄高の声に呼ばれて振り返る。禄高は、いつもの表情で立っていた。

 「そんな思い詰めた顔してんな!一人でやってんじゃねぇぞ!」

 すーっと狭くなっていた視界が開けていく感覚がした。握り締めた拳が緩む。
 禄高のその言葉を聞いて裕も笑い、今度は声を出す。

 「滝も!大丈夫だから!」

 打球の消えた観客席の方を呆然と見ていた滝はグラウンドに目を向けた。声の主である裕は真っ直ぐな目でいつもの表情。責めてなんていない。
 当たり前だけど、そこには皆がいた。

 彼方此方からの声に答えるように、久栄は黙って俯き、右手で拳を作って空へ向けた。それを見て皆自然と笑顔になる。

 「よっしゃ!バッチ来い!」

 ホームランを打たれた後だと言うのに、阪野二高は指揮を落とさなかった。



 「青いねぇ。」

 すれ違い様に、皮肉たっぷりに天岡が裕に言い放った。

 「青春が青くなくてどうする。」

 裕は鼻で笑いながら言い返す。天岡は小さく笑い、それ以上は何も言わずに通り過ぎて行った。



 その後、久栄は五番の二宮を三振で打ち取った。
 しかし、チェンジで攻撃を迎えた阪野二高だが浅賀の球に手も足も出ず三者凡退。

 五回は立ち直った久栄が三者凡退に抑え、朝間高校は前半最後の攻撃を終える。
 また、その裏阪野二高の攻撃は四回と変わらず無得点。

 朝間高校が二点リードのまま、前半戦は終了した。