夕陽の約束






澄んだ音が鳴り響いた。夕焼けのオレンジ色の空に一粒の白点を浮かばせて三人の少年は暫くそれを見上げていた。
その白点、白球は数秒間落ちて来ずにいた。落ちた時には川の向こう岸で取りに行くのも面倒になるほどの草薮の中に入った。
それを見て唖然とする浅賀を見ながら裕はバットを置いて言った。

「俺、神奈川に引っ越す。」

まだ自然の残るこの場所は車も少なく、小さな子供が母親と共に手を繋いで歩いていた。川原の原っぱで寝そべっている三人の少年を、上を通る電車に乗った来たく途中のサラリーマンやらが見ている。
秋も中旬になった今日この頃は風も冷たくなって冬を迎える準備をしているようだった。
忙しかった最後の夏の大会を全国優勝で締め括り、最高の幕引きだった訳だが、受験を目の前にしてある非常事態が起こっていた。

「…神奈川、か。」
「遠いなぁ。」

寂しそうに笹森が笑った。
そう言う笹森自身も家の事情で大阪に引っ越す事が決まっていた。この兵庫に残るのは浅賀だけ。
甲子園制覇しよう、と約束した夏の日を裕は思い出していた。まだ、一ヶ月くらいしか経っていないのに随分昔の気がした。あの頃は若かったと言うくらいの時間が経ったような。
その三人でした約束は、いとも簡単に不可能になってしまった。

「…結局、バラバラやな。」
「ごめん、な。」
「裕が謝ってどないすんねん。お前はまぁ、あれや。仕方無いやんけ。」

浅賀は浅賀なりに気を使っているのが手に取るように解る。
この夏、裕は家族を失った。余りに突然の事で、残された裕と弟の瑠は呆然としていた。その為に従兄弟の家がある神奈川に引っ越す事になったのだ。

「ほんま、ごめん。俺かて家の事情ーとか言うてんやんか。」
「エイジもしゃあない。解ってんねん、ちゃんと。」

解ってはいるけれど、と浅賀は寂しげだった。

「…裕はいつ引っ越すんや。」
「一応、春休み前。その前に受験の申し込みとかしに行くけどね。」
「せやな。あー俺ら甲子園行けへんねんなぁ。」
「何言うとんねん。行けるわ。」

浅賀は立ち上がった。

「俺が行く高校は県立朝間高校、言わずとも知れた野球の強豪校や。俺はそこで絶対にレギュラー取って甲子園行くで。」
「それやったら、俺かて行けんねん。明石商業、野球の名門や。行けん訳あるかい。」

高校の話で盛り上がっている二人を余所に、裕はぼんやりと川を見ていた。緩やかな流れ、魚が泳いでいる。この景色とももうすぐお別れ。
出来るだけ目に焼付けておこうと必死だった。

「裕?」
「え、ああ。何?」

二人は顔を見合わせた。そして、笹森が軽く裕の後頭部を殴る。

「お前は、どうなんや。」
「え?」
「甲子園、行けんのかい。いや、行くんか。」
「…うん。」

浅賀は盛大に溜息を吐いた。

「ほんま、お前はダメ人間やなぁ。」
「ほんまや。言い返せへん。ダメダメや。」
「うるさいなぁ。」
「お前甲子園行けへんて思うてんの?」
「…いや。」

裕がこれから行くであろう高校は県立阪野第二高校。スポーツ校ではあるものの野球は中くらいと言った調子だ。
甲子園出場経験はもちろん無いし、神奈川には毎年甲子園に行っている長谷商業がいる。
もっと、強かったらよかったのに。最近、裕は心からそう思うようになっていた。自分の護りたいものを護れるくらいに強く、誰にも負けないくらいに。

「…心配せぇへんでも、お前なら行けるわ。」
「当たり前や。行けんかったら、しばくで。」
「そうや、俺もしばく。」
「…俺に、行けると思う?」


「「当然やろ!?」」


綺麗に声を揃えて二人は言った。
それが何故だか無性に可笑しくて、裕は大笑いした。
不可能なんて、無い気がして。それは一瞬の錯覚でしかないのだろうけども。

「お前には、最高のバッティングがある。脚もある。出来ん事無いわ。」
「ああ。さっき、ぶちかましたみたいにな。」
「そうや。俺の最高の球、ホームランかましといて何が甲子園行けるかな、や。」

本当に、二人は優しくて強くて。
心の底から、俺が甲子園に行けるって思ってんだ。

「…約束や。あの日の約束は果たせんかったけど、これだけは誓おう。」
「やな。」
「ああ、必ず甲子園に行く。約束だ。」



――もっと、強かったらよかったのに。
こんな卑小な俺が強いと心から信じていてくれる二人の為に、もう思わない事にした。どんなに逆境でも、苦しくても、辛くても、悲しくても、周り全てが敵になったとしても。諦めない事にした。
もう二度と、後悔なんてしたくないから。



「甲子園で逢おう。」