天敵










 その日、俊と爾志が部活中に一言も口を訊いていなかった。
 冬に入り手が悴んでボールを掴む事さえ困難になっていた。冷たい風がヒュウヒュウと吹いて、その度にグラウンドの彼方此方から悲鳴が上がった。
 裕は手を擦り合わせながらふと、俊の方を見るといつものように仏頂面で投球をしていた。相手は爾志ではなかった。

 市河俊と爾志浩人のバッテリーが出来あがってから、もう半年以上が過ぎた。俊の力は「 天才 」と呼ぶに相応しいにも関わらず、それ故の人材不足で満足に野球も出来なかった。そこに現れた大柄の技巧派キャッチャー爾志は、まさしく救世主と呼べる。
 赤星・松本のバッテリーの実力は誰もが認めている。また、一年ながらも市河・爾志の実力も誰もが知るところだ。だが、決定的に違うところがある。それが、バッテリーとしての相性。

 赤星と松本は悪友で、よく一緒にいる姿をみる。二人を、前主将の尾崎は「 最良のバッテリー 」と呼んでいた。一方、俊と爾志のバッテリーは。爾志は誰とでも仲良く出来る優しい人だ。友人も多い。俊は、プライドが高いと言うのだろうか、クールドライなのだ。


 俊の素っ気無い態度にも爾志は笑っていたし、爾志が怒る姿など見た事が無い。




 「 俊、キャッチボールしようぜ。 」


 グラウンドの端で座って休憩していた俊に裕は言った。見上げる俊の視線は冷たかったし、痛かった。
 だが、俊は「 いいぜ。 」と言って立ち上がった。


 「 なぁ、俊。 」


 俊にボールを投げる。


 「 周りに人がいないのって、本人が悪いんだって。…知ってたか? 」


 俊から力一杯の返球。コースは裕の眉間だ。余程驚いたのだろう。裕は声を上げた。
 だが、苦笑するとまた投げ返す。


 「 余計なお世話だ。死ね。 」


 返って来るのは、とてつもなく重い球。今までサードやショートのポジションしか着かなかった裕は、そんな重い球を受ける事など無いに等しい。


 「 死なない。俺は、説教してるんじゃないんだ。 」


 また、返す。
 日がだんだん紅く染まってきた。冬は日が落ちるのが早い。キャッチボールをする裕と俊の影が伸びていた。


 「 たださ、聞いて欲しいんだ。人に説教できるほど俺は偉くないしさ。 」


 俊は何も言わない。無言の返球。
 俊の苛立ちがその球に込められているような、そんな重い球だ。


 「 俊、お前は知らないだろうな。爾志が、どうして怒ってるか。 」


 俊は、反論も頷く事もしない。
 裕は苦笑する。


 「 お前は天才だ。言うまでも無いかもしれないけど。 」


 裕の目は、非常に穏やかだった。
 冬の厳しい寒さなど忘れた春の野原の温かさのような。


 「 それ故に、爾志と言うキャッチャーの大切さも知ってた。 」


 爾志に目をやると、あからさまに拗ねた様子で練習している。
 余り見ないその姿に苦笑する。禄高が何かを尋ねて突き飛ばされていた。


 「 だから、なんだよな。 」


 俊がただ単に自尊心の高い、冷たい人間ならば裕は傍にいようとは思わない。
 従兄弟だからとか、裕が優しいからとか、そんな理由じゃなくて、俊は優しい人だ。


 「 でもさ、手加減する必要なんて無いと思うんだ。 」


 遡る事、数日前。珍しく部活が休みだったので、皆で川原で草野球をする事になった。その時、俊の剛球を爾志が取り損なった。取り損なった球は爾志の顎を直撃し、舌を噛んで血を流していた。
 それに対し、俊はしれっとしていたが、いざ野球が始まると爾志に何処か力の抜けた、俊らしかぬ球ばかりを投げた。それは誰が見ても爾志の事を考えて力をセーブしているようにしか見えなかった。(実際そうなのだが。)
 しかし、それに怒ったのは爾志だ。


 「 お前の、本当の野球を見せろ。…俺は、ここに来た時お前に言った。 」


 裕は、あの日の事を思い出していた。
 裕を甘く見て、手加減していた俊に言った言葉だ。


 「 お前が間違ってるとは言わない。だけど、爾志だって間違ってねぇ。 」

 「 …なんだよ。 」


 俊がいかにも不機嫌で、唸るような声で言ったので裕は苦笑した。
 顔に向けて投げられる球を軽く捕って俊に投げ返す。


 「 お前等はバッテリーじゃねぇか。爾志にはお前の球を受ける権利がある。今はまだ、爾志は俊に追いつけないかもしれない。けど、あいつは必ず追いつくから。だから、お前の野球をぶつけてやればいい。 」


 俊は言葉を返す代わりに力一杯の投球をした。裕がそれを容易く捕ると、俊は舌打ちした。
 そして、心の中に小さく「 適わねぇな。 」と吐き捨てた。