軽快なリズムの流れる両耳のヘッドフォン。数あるCDの中から選び出したそれは、今まで待ち続けた品だ。










                                翼在る鳥と牙在る蟻









 どうしようかな。


 裕は悩んでいた。
 悩みの種はその手にあるCD。そのアーティストはそんなに有名ではないが、知る人は知るアーティスト。言うまでも無くファンである。
 その最新の曲が発売されたのだ。偶然手にした最後の一枚。買おうか買うまいか。そこに悩んでいるのだ。


 やっぱり、止めようかな。聞きたきゃ携帯で着うた聞けばいいし、そんなに金持ちでもないしなぁ。でも、最後の一枚。何か運命的なものを感じるよな。これって、やっぱり買うべきか…。でもなぁ…、いっそアルバムが出るのを待って…でも…。


 新曲、良い曲だ。感想はまずはそこ。そして、買うか買うまいか。二択なのに選択が重い。取捨選択が出来ないのだ。



 「あっ!売り切れ!?」



 顔を上げると絵に描いたように残念そうな表情をした少年。歳は裕とそう変わらなそうだ。学生服に高校鞄を持っているところを見るとどうやら高校生。恐らく部活帰りだろう。
 はぁ、と盛大な溜息を一つ吐いて。


 「あ、それ…。」


 指差す先は裕の右手。そう、CDだ。目的は同じらしい。


 「すんません!どうか、俺にそれを譲ってください!!」


 両手を合わせて懇願。余程欲しいらしい。


 「頼みます!五百円付けますから!!」


 だけど、これで決心が着いた。


 「いいっすよ。それに、五百円もいいですよ。俺のじゃないですから…。」


 ぱっと明るい表情。
 そうだ、俺には所詮高嶺の花。あのCDも在るべき場所にあった方がずっといいに決まっているんだ。


 「ありがとうございますっ!あ、ちょっと待っててくださいよ!」


 いそいそと会計に行く後姿。背負っている黒い円筒形のものは、多分恐らくバットだ。野球少年か?この地区の。


 「ありがとうございます、ほんと。俺買えないって思ってましたよー。そうそう、お礼と言っちゃあ何ですけど肉まんでも奢りますよ。」
 「いいっすよ、お礼なんて。…それより、野球してるんすか?」
 「そうなんですよ。今日も部活で…。アンタも?」


 裕が頷くと、少年は笑った。


 「同じ野球少年すかー!あ、俺東光学園の一年っす。」
 「東光…。甲子園、行ったとこですね。」
 「知ってんすか?アンタは?」
 「阪野二高の一年です。」


 少年はなんだ、と小さく漏らして笑った。


 「タメかよ!超敬語だったじゃんか!阪野二高かぁ、予選で当たったなぁ。」
 「覚えてんの?うわーすげぇ。」
 「まぁ、名前くらいはね。あ、俺は如月昇治。」
 「如月…?」


 俊の言葉が、脳裏を過った。





              
 ――俺達は、たった一人に負けたんだ。――





 「そうか、アンタが…。」


 これも、運命か。


 「俺は、蜂谷裕。」
 「蜂谷かー…。ユウ?」


 如月は一瞬顔を顰めた。


 「ユウって、どんな字?」


 裕が空気に字を書いて言うと、如月はまた、笑った。


 「お前、桜庭か。」
 「!」


 如月の目が一瞬光った。


 「俺の事知ってんのか?」
 「そりゃー、ある意味伝説だよ。…中学最強の打者が最小、ってな。」


 要するに、チビの癖に中学時代活躍していたと言う事だ。有名になったものだ、と小さく自嘲気味に笑ってみた。


 「最初中学生かと思ったけどな。神奈川に引っ越したって噂で聞いたからさ。」


 人の口に戸は立てられない。噂などあっという間に広まるものだ。驚きと共に恐怖。


 「お前、試合には出てなかったよな。もしかして、噂はガセかな?」
 「さぁ…。まあ、試合には出られなかったけどね。ちょっと田舎に行ってまして。だから、俺は如月の顔も知らなかったよ。」
 「なんだぁ。…ところで、また、新しい年が来るな。」
 「?」


 急に真剣な表情で如月は話し始めた。店内に流れている音楽が遠退いた気がした。


 「甲子園、目指す訳だろ?」
 「…何を当たり前の事を。」
 「それはつまり、俺を倒すって事だろ?」
 「如月が上がって来ればな。」


 如月は笑った。


 「お前こそ、甲子園、一回戦負けだろ?どうする訳?甲子園出ただけで満足なの?」
 「…事情があんだよ、こっちだってよ。」
 「理由?いい訳だろ?」


 今度は裕が挑戦的に笑うと、如月は苦笑する。


 「ちげーよ。…お前には関係無いって言ってやるとこだけど、教えてやるよ。…俺は一年だ。先輩方は、それが気に食わないらしい。一年にレギュラーを取られたこと、自分達よりも活躍していること。だけど、俺を潰せばチームが弱くなるからそれも出来ない。どうしようもねークズばっかだよ。」
 「…クズはどっちだ。仲間だろうが。」
 「現実を見れば、そんな事は言えなくなる。お前のは所詮綺麗事。聞くに堪えないぜ。」
 「………。」
 「だから、俺は来年新しいスタートを切るんだよ。」
 「まだ、三年が残ってるだろ。」


 チチチ、と指を振って如月は続けた。


 「あんな残されたヘボ共に何が出来る。俺は甲子園に出場し、予選では活躍した。その事実は皆が知ってる。さて、ここで問題。…来年入ってくるのは、どんな一年だ?」


 全ては計算。頭がいいと言えばそれまでかもしれないが。
 気に食わない。癇に障る。


 「お前…、何だよ…。」
 「俺が気に入らないか?」


 裕は思わず押し黙った。


 「でもな、俺とお前は所詮同じ穴のムジナ。お前が笹森と浅賀との約束を果たす為に甲子園を目指すように、俺もあいつとの約束を果たす為に甲子園を目指す。綺麗事ばかり言っている場合じゃないのさ。見てろ、俺は必ず甲子園で優勝してやる。」


 その目は真剣だった。真剣で、悲しくて、冷たい氷の目。


 「いくら理想が高くても、地面に足が着いていなくちゃ意味は無い。空から見下ろす鳥に、地べたを這いずる蟻の気持ちは解らない。」
 「…悲しいな、お前の野球は。」


 ポツリと裕は呟いた。
 如月の野球は余りに悲しい。勝たなければいけない。そんな義務の様に聞こえる。約束があるから野球をしなければならないような。
 それは、裕とは似て非なるもの。あるいは対照的なもの。


 「お前にも、いつか解る。窮地に立たされた時にな。」


 如月は踵を返して店を出て行った。その後姿をぼんやりと見て、裕はゆっくりと店を出た。外は寒く、刺すような風が寂しく吹いていた。