現実主義偽善者




 さんさんと春の暖かな日差しが心地よい。裕は公園の草むらで寝そべってそろそろ眠ろうかと思い目を閉じた。
 子供たちの楽しそうな声が聞こえる。久しぶりの休日。それも晴天。たまには何もせずに寝ているのも悪くない。完全な休息も必要だ。
 大きな欠伸を一つ。

 そろそろ昼。昼食はまだだが、その内脩か面倒くさそうな俊が呼びに来るだろう。瑠もそろそろ帰宅するはずだ。
 長谷商業を七回コールドで打ち破り、御杖と約束した。甲子園、一年前ではまるで天のように遠い存在だったのに、今は目の前にある気さえする。
 必ず、甲子園に行ってやる。

 人知れず誓う決意。
 それも暖かい日差しの眠気に溶けて行く。本格的に眠ろうと思ったその矢先だ。影が落ちた。
 「おい、蜂谷。」
 聞き覚えのある声にはっと目を開けるとそこには予想通り、如月昇治がいた。部活の帰りだろう。背中に背負ったバットケースと肩に掛けたエナメルの白いスポーツバッグ。
 「如月…。」
 むくりと身体を起こす。如月は何処か楽しそうに笑っていた。
 「久しぶりじゃん。お前の家この近くなんだ?」
 「あ、うん。そうそう…。」
 まだ、睡魔が襲ってくる。トロンとした目の裕を見て如月はまた笑った。
 「お前のとこ、あの長谷商業にコールド勝ちしたらしいな。すげぇじゃん。」
 「はは。なめんな。余裕だよ。」
 「何言ってやがる。相手は前準優勝だろ。」
 ようやく目が覚めて来た裕はゆっくりと立ち上がった。そして、大きく背伸び。思わず欠伸が出る。心に小さく失礼とは思いつつも。
 「…俺達は、今年甲子園に行くよ。」
 「ふぅん。それは、俺達に勝つって事だな。」
 「そうだね…。」
 如月の様子では、恐らく今年の新入生は大収穫だったようだ。昨年から期待を掛けていただけあって嬉しそうだ。
 「お前に俺が越えられるかな。俺はいつまでも壁として立ち塞がってやるよ。」
 「越えるさ。その為の壁だ。」
 言葉とは裏腹に裕の表情や話し方は非常に柔らかい。眠いのだろう。また、一つ大きな欠伸。
 「…決勝で待ってるよ。負けるな。」
 パチリ、と瞬きをする。少し、驚いたのだろう。裕は数秒間の動きを停止した。が、すぐに動き出す。
 「ああ、すぐに、行くよ。」
 変わったな、と思う。去年のあの刺々しい空気が無い気がした。春だからだろうか。それとも、余裕があるからだろうか。
 「お前こそ、負けるなよ。…次の相手、ラフプレーが激しいって聞いた。」
 「心配してんの?俺が怪我する訳ねぇじゃん。」
 「違う違う。お前等が倒してくれれば俺達はそんな学校と当たらなくて済むじゃん。」
 なんだ、と如月は笑う。
 「…そう言えば、お前、誰かと約束してるんだっけ。」
 「あれ?言ったっけ?」
 「言ったよ。俺があの二人との約束を果たそうとするように、自分もあいつとの約束を果たす…って。」
 如月はあれー、と困ったように笑った。覚えが無いのか。つい、ポロっと言ってしまったのだろう。
 「ま、いいけどさ。」
 言い出しておいてなんだが、詮索するのは好きじゃない。逆に、詮索されるのも。言いたくなったら言えばいい。聞かせたくなったら聞かせればいい。それだけの事だ。
 「…ふ。」
 小さく如月が笑う。
 「何?」
 「面白いな、と思って。」
 突然の事に裕はきょとんとする。
 「訊かねぇのな。お前のそういうとこ好きだぜ。誰にも、何にも執着しなさそうなところとか。」
 「そりゃどうも。」
 如月は携帯の時計を見て少し慌てる。
 「悪い。この後予定入ってんだよね。じゃ、またいつかな。」
 「ああ、気をつけて帰れよ。」
 「ガキじゃねぇぞ!」
 ドタバタと走って行く如月の姿を小さくなるまで見届けて裕は背伸びをした。そろそろ腹も空いて来た。

――誰にも、何にも執着しなそうなところとか。――

 …執着、していない訳じゃないさ。
 十分執着している。仲間にも、野球にも。だけど、もしもそう見えるのならそれは少し違うと思う。
 敵にはならないとか、そういう意味だろう。でもそれは、誰の敵にも、誰の味方にもならないと言う事だ。誰にも属さない。いつだって中立にいようとするずるい人間なだけ。ただの偽善者。
 でも、今は。

 「裕!」
 公園の向こうで脩が呼んでいる。その後ろに珍しく俊がいたので裕は笑ってしまった。
 「ご飯だって!」

 でも、今は。

 「…今、行くよ!」

 それでも構わないと、思うんだ。
 あと、少しの間だけは。