02 何ができるわけでもないが、何もできないわけじゃない。


――おーい、敬太。手紙来たぞ。


 那波光輝が持ってきたのは一枚の国際便だった。斎敬太はその声に反応して顔を上げた。珍しく部活の無い休日の事だった。
 その手紙の宛名は那波と斎。送り主は二人の幼馴染だった。今はもう日本から遠いところに行ってしまった大切な幼馴染。浅越弘恭からだった。


――あいつ元気かなぁ。いつか会いに行こうな。


 嬉しそうに封を切る那波。向かいの家に住んでいるので、那波はよくうちに来た。特に、浅越から手紙が来た時は。
 赤と青と白の模様の入った封筒を開け、那波は中に几帳面に畳んである手紙を取り出した。いつものレポート用紙と見間違いそうになるほどシンプルな手紙。そこにこれまた几帳面な字でびっしりと書かれているのだ。最近起こった近辺の出来事、そして、治療の経過。


――いつか、昔みたいにキャッチボール出来る日が来るといいな。


 楽しそうに語る那波。頭はいいくせに馬鹿で単純で優しいから眼を伏せてしまう。那波は時々太陽みたいだ。見ていると目が眩んで焦げてしまう。
 そう言えば、浅越もそう言うやつだった。医療大国に行ってしまった幼馴染で親友の彼は。


 (…何で、そんなに強いんだよ…。)


 卑小な俺には、何一つ理解出来なかった。
 それは俺の弱さのせいなのか、それとも罪悪感のせいなのか。それは解らないけれど。




 「…なぁ、光輝。」
 「ん?」
 「俺が、憎くないのか?」
 「はぁ?」

 那波は心底呆れたように言う。

 「弘恭の足を奪ったのは、俺なんだぞ。」

 那波は一瞬、きょとんとした顔をして小さく笑った。

 「馬鹿。何言ってんだ。そんな訳ないじゃん。」
 「ある。…俺のせいじゃんか…。」




 まだ中学生だった頃。俺達は幼馴染として育った。共に遊び、共に学び。野球をした。互いがライバルで、励まし合って高め合って。大切な絆だった。
 だけど、馬鹿だった俺はちょっとした事でヤンキーと揉めた。自分で言うのもどうかと思うけど、俺は喧嘩が強かった。だから、その場にいたヤンキー全員に勝っちまった。
 それがどう言う結果を生むのか。何も解っちゃいなかったんだ。

 その後、那波と浅越と約束があった俺は先を急いだ。もう、待ち合わせには遅刻だったから。
 急いでいて、信号が青に変わるのを待って、横断歩道を渡ろうとした。そのまま待ち合わせ場所に行って、いつも通りの一日になると思っていたんだ。だから、まさかそのヤンキー共があんな事をするとは思わなかった。

 凄まじい勢いで走って来るスポーツカー。気付いた時には、遅かった。
 その車は、もう目前にいたから。

――敬太ァ!!

 ボンッと鈍い音。映画みたいにスローモーションで飛んでいく体。生暖かい血。

 「…弘恭…?」

 嘘だと思った。夢だと思った。
 だけど。


 「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ―――ッ!!」


 その後すぐに救急車が来て、警察が来て。血塗れで運ばれて行く浅越。真っ青な顔で那波が立ち尽くしていた。
 二人は、俺が遅いから迎えに来ていた。そして、浅越は俺を庇って…。




 「お前のせいじゃない。」

 那波ははっきりと言った。

 「あれは、事故だったんだ。」
 「違う!俺のせいだ…。俺のせいで、弘恭は…。」

 すぐに病院に運ばれた為、命に別状は無かった。けれど、彼は死ぬよりも辛い思いをする事になった。
 両足の複雑骨折。もう二度と、歩く事はおろか立つ事も出来ない。

 もちろん、野球なんて出来やしない。

 「お前のせいじゃない。お前のせいで、弘恭は怪我をしたんじゃない。」

 那波は言い聞かせるように、ゆっくりと言う。

 「弘恭は、幼馴染を守る為に怪我しちまったんだ。だけど、それにお前が罪を感じる事はないんだよ?だって、弘恭は自分から飛び出したんだから。」

――幼馴染を守る為に――

 那波は柔らかく笑う。その姿が余りに那波らしくて、優しくて。

 「何で…そんなに強いんだよ、お前等。俺は、お前から幼馴染を奪ったんだぞ。」

 それでも、那波は変わらなかった。昔のまま優しくて強いままだった。
 それどころか、変わってしまった斎をまた“日常”と言う世界に連れ戻してくれた。
 与えられるばかりで、与えるものなんて何もなくて。それどころか奪ってばかりなのに。

 「何で、責めないんだよッ…!」

 優しさを優しさで返せるほど大人じゃないんだ。
 馬鹿なんだ。子供で、無力で、弱いばかりの。

 「俺が、強い?」

 那波は目を丸くして言った。

 「俺は強くなんてない。弱いただの子供だよ。…いつだって、誰かに支えられながら生きてる。」

 那波は目を閉じた。途端に訪れる闇の向こうには、あの運命の日が映し出されていた。
 一目散に飛び出して言った浅越。立ち尽くしたままの自分。

 あの時、浅越を止めていれば斎はここにいなかった。
 けれど、あの時浅越の代わりに飛び出していれば浅越はここにいた。

 それよりも、あの日遊ぶ約束なんてしなければ誰もこんな気持ちにはならなかった――。

 「でも、それでもいいって弘恭は言っていた。人ってそういうもんだって。」

 那波はゆっくりと手元の封筒を開けた。国際便の封筒を開くと、そこには懐かしい筆跡が残っている。
 浅越弘恭は、変わらないままだった。

光輝・敬太へ

久しぶり。光輝手紙ありがとな。
そっちは夏だから暑いんだろうな。こっちは相変わらず涼しいけど。
甲子園行けたんだ。いいなぁ。正直羨ましいよ。こっちには“甲子園”なんて存在しないんだから。
早く野球やりたいよ。早く日本帰ってさ。
いつも光輝からばっかりで、敬太からは来やしねぇ。何とか言っといてくれよ。
二人とも、せっかく同じグラウンドで野球してんだ。絶対、勝てよ。
こっちまで名前が響くくらい強くなれよ。必ず帰るから、待ってろよ。

治療は順調だって。後は俺次第だそうだ。
手術も成功したし。リハビリ正直キツイけど、その先に野球が、お前等がいるって思うとたいした事ないよ。
甲子園優勝しろ。日本一になれ。
返事待ってる。光輝も…敬太も。

負けるなよ。誰にも、何にも。
勝てよ。

浅越弘恭

 「何にも、変わらないだろ?」

 那波は笑った。
 斎が浅越の手紙を読むのは、初めてだった。罪悪感から見る事が出来なかったのだ。
 でも、そこにはあの頃と何一つ変わらない彼がいた。

 「こいつ、お前の事一言も責めなかったぞ。今まで。ずっと心配してたんだ。」

 馬鹿みたいにお人好しな浅越の顔が浮かんだ。

 「手紙、書けよ。」
 「…解ったよ。」

 斎は、ゆっくりとペンを手に取った。