26.知音






 幾ら鳴らしても、出る筈が無いよな。こんなところに落ちてるんだから。
 心の中でそう納得し、絶望にも似た気持ちでそれを見詰める。闇に染まった路地裏の隅で、忘れられたかのように光る携帯電話を拾い上げるのにどれ程の勇気が必要だっただろう。驟雨はコールし続けた自分の携帯を閉じ、唇を噛んだ。見覚えのある携帯は傷だらけだった。それが誰のものかなど一目で解っていたけれど、自分がコールを止めたと同時に光ることを止めたことが確かな証拠になる。
 霖雨の携帯だった。幾ら連絡しても霖雨に繋がらないと言う林檎が相談した香坂から、何か知らないかと驟雨に情報が回ったのだ。夕方に顔を見てから、バイトに向かったのだろうと思っていた。否、向かった筈だ。午前零時を迎えるというのにバイトの筈は無いだろう。嫌な予感がして探し回れば、夕暮れに男子高生が十数人の男達にリンチされて警察沙汰になったと聞いて現場に行けば、あったのは傷だらけの霖雨の携帯だった。
 胸の中に黒く深い穴が広がる。虚しさ、苛立ち、憎しみ。耳奥に蘇る霖雨の声。
 バイクのヘッドライトに照らされるアスファルトには、血液だろう黒い染みが無数にあった。夢中で探し回る内に吹き出た汗が頬を、首筋を、顎を伝っては落下していく。拾い上げた携帯を開けば、林檎や香坂、そして自分の着信履歴が虚しくなるほど残っている。
 霖雨が人に恨まれることなど無い。集団リンチの標的になることも、通常なら考え難い。霖雨とて処世術は心得ている筈だ。――ただ一人を除いては。


「……伊、庭」


 頭を過ぎる伊庭の薄笑い。伊庭は霖雨に興味を持っていた。これまで、それをどれ程必死に逸らそうとして来たことだろうか。
 伊庭が最初に接触して来たのは、大佐和と麻田の遺体が発見された次の晩だった。差し向けられた伊庭の手下を殴り倒し蹴散らした。すると、あのいけ好かない薄笑いを浮かべた伊庭が現れたのだ。
 また昔のように仲良くしようぜ。と言った伊庭の言葉を一蹴すれば、続けて霖雨の名が出された。その場で殴り飛ばしたとしても、伊庭は執拗に霖雨を狙うだろう。知らぬ顔で押し通そうとした驟雨はナイフに襲われたけれど、右腕に僅かながら傷を負った。その場は切り抜けたが、後日、伊庭は手下を引き連れてバイクで学校までやって来た。
 驟雨は伊庭の要求を呑んだ。そうして、起死回生の機会を窺うことにしたのだ。Lsの用心棒として伊庭の元にいる代わり、霖雨を始めとする友人達に手を出すなと条件を突き付けた。伊庭はそれに頷いたけれど、事あるごとに霖雨の名を出しては驟雨を脅した。それでも辛抱強く尽くして来た結果が、これか。
 腸が煮え繰り返るような怒りと共に、驟雨は再び愛車に跨がる。一片の改造もしないHONDAのMAGNAは唸りながら夜の街を疾走した。
 Lsの根城である廃墟に着く前に、驟雨は電話を掛けた。相手は伊庭だった。
 霖雨とは違って、数回のコールで伊庭は通話に応じた。


「伊庭。てめぇ、どういうつもりだ」
『何のことだ?』


 笑いを堪えながら平然と言い放つ伊庭に、この怒りが伝わらぬ筈が無い。驟雨は平静を保ちながら言った。


「霖雨をどうした」
『――霖雨? ああ、この、生贄のことか?』


 携帯の奥で、何かを踏み付けるような鈍い音がした。怒りに任せて力を込めた携帯が軋む。驟雨は怒鳴り付けたい怒りを抑えながら口を開く。


「約束が違う。霖雨に手を出すなと、言っただろ」
『約束を破ってるのは、お前だろ。虎視眈々と、俺を潰す機会を窺ってた癖に』
「うるせぇよ。今すぐ、其処に行く。霖雨に何かあったら、お前の命は無いぜ」
『何か? もう、手遅れかも知れねぇぜ?』


 驟雨は乱暴に通話を切断した。
 あの時、伊庭は生贄に霖雨を輪姦してリンチすると言った。そんなことはさせない。あいつに手を挙げたことすら、許せないのだ。エンジンを吹かして目的地へ突き進む。腹の中で荒れ狂う怒りを治める方法など、驟雨には解らなかった。
 海に面した廃工場は一見すると大きな倉庫のように見えた。入口に停まる無数の違法改造されたバイクのライトが、裏切り者である驟雨を照らし出す。蔑む目、罵倒する声。そんなもの欠片も気にならない。少し離れたところに愛車を停め、驟雨は身一つでLsの下級構成員である少年の群れに突き進む。醜い武器を構える少年達。興味すら無かった。


「死にたくなかったら、退け」


 冷たく言い放った驟雨の気迫に体を竦ませた少年と、それすら解らない馬鹿な少年。驟雨はどちらにも視線を向けず、霖雨がいるだろう廃墟の中へ直進する。
 威勢良く金属バットを振り上げた少年。驟雨は見向きもせずその足元を払い除け、転倒した少年の頭を潰す勢いで容赦無く踏み付けた。悲鳴が上がった。それが合図だった。
 一斉に飛び掛った少年達に驟雨は冷たい視線を遣った。集る蝿を追い払うような煩わしさで、驟雨は一人一人確実に殴り、蹴り飛ばしていく。数に物を言わせて押さえ込もうとする少年を強引に振り払う力は、その痩躯には見合わない程の強さだ。振り落とされた少年が、仲間達の下敷きに踏み潰される。
 悲鳴なのか怒号なのか。最早判別すら付かない。


「退きやがれ、雑魚がッ!」


 切りがないと驟雨が叫んだ。その時。
 あらぬ方向で少年達が吹き飛んだ。何事だと視線を向けた先で、見覚えのある金髪と香坂がいた。


「派手にやってるじゃねぇか、驟雨」


 少年の胸倉を掴んでいた香坂は、その顔に拳を叩き込み言った。その表には笑顔すら浮かんでいる。喧嘩無双と言われるだけの男だ。その拳の重さは最早素人ではない。
 そして、その隣の金髪の男に、驟雨は見覚えがあった。それは嘗て、霖雨を暴行した男だった。


「てめぇは……」


 佐丸燈悟。こんなところにいる筈がない。
 驟雨の聞きたいだろう言葉を察して、佐丸は言った。


「お前を助けに来た訳じゃねぇよ。霖雨に借りがあるだけだ」


 驟雨がそれを知る筈も無い。だが、敵でないならそれで十分だ。
 口元に笑みを浮かべ、驟雨は再びその拳を振り上げた。弾丸のように突っ込んだ香坂が大きく足を上げ、一気に振り下ろす。稲妻のように脳天に炸裂した踵落としから立ち上がれる者などいる筈もない。対して佐丸の右足は一筋の閃光のように振り切られ、少年の群れを一掃した。
 一瞬の隙を突いて驟雨は、少年達の間を縫うようにして根城である廃墟へ突き進む。通り過がり様、鳩尾に重い一発を叩き込まれた少年は声も無く崩れ落ちた。其処此処で頭を上げる凶器など掠りもしない。驟雨は僅かに上がったシャッターを潜った。
 噎せ返るような血の臭いだった。此処は何時でも来るだけで胸糞が悪くなる。伊庭が処刑と称して無関係の一般人を引っ張り込んでは集団で暴力を振るう。馬鹿らしいと思うし、人として最低の行いだとも思う。だが、それを止めることも出来なかった自分は同じ穴の狢だ。
 松明のように、ドラム缶から火柱が上がる。B級RPGの最終ステージのようだと思った。安っぽいパイプ椅子にふんぞり返る伊庭がラスボスならば、自分は果たしてどんな役回りなのだろう。周囲を固める雑魚と幹部の少年が揃って此方を睨む。どちらも救えない馬鹿共だ。
 伊庭の足元で蹲る男子生徒は、自分と同じ学校の制服を着ている。顔など見なくとも、それが誰なのかすぐに解った。


「――霖雨ッ!」


 悲鳴のような声を上げ、驟雨は駆け寄ろうと足を踏み出した。けれど、人垣が突然現れて妨害する。白いYシャツは所々赤く染まり、グレーのスラックスは煤に汚れていた。頭はボサボサで、此方を向くことの無い後頭部から血液がこぼれ落ち、汚れた床に赤い染みを広げる。
 心臓が止まりそうだった。


「おい、霖雨! ――てめぇ等、退けェ!」


 邪魔だと横薙ぎに振り払った拳で二人の少年が弾き飛ばされる。それでも人垣は驟雨から霖雨を遠ざける。
 微動だにしない霖雨に意識があるのかも解らない。後ろ手に縛られた両手首にも血が滲む。霖雨は恐らく、殆ど抵抗などしなかっただろう。彼は何時だって与えられる苦痛を仕方がないと享受して来た。悪足掻きなどしない。それでも、こんな姿になるまで暴行されたのか。


「伊庭アァア!」


 こいつが一体何をしたというのだ。不倶戴天の敵だとでもいうように驟雨が叫べば、伊庭は薄く笑った。犇めく少年が驟雨の頬を殴り付けた。怒りに任せて暴れていた驟雨は受け身一つ取れず、汚れた床の上をエアホッケーのように滑った。
 続けざまに振り上げられる靴底を転がりながら躱し、体制を整えた驟雨の視線の先で、ゆっくりと体を起こす霖雨の姿が見えた。


「霖雨!」


 項垂れたまま霖雨は動かない。否、動けないのだろう。顔を隠す前髪から血液が滴り落ちる。


「……驟雨、か?」


 ゆっくりと向けられた顔は生気が無く青白い。出血による貧血だろう。掠れるような声で、けれど、その大きな目は確かに驟雨を捉えている筈なのに、訝しげに見詰める姿は違和感が溢れている。


「驟、雨?」


 姿を見失う程に離れた距離ではない。少年達に取り押さえられたまま、驟雨は此方を向きながら目を合わせない霖雨に背を焼くような焦燥感を覚えた。


「お前、見えないのか――?」


 霖雨の目には驟雨だけではなく、伊庭も、少年達も、自分の体さえ見えなかった。朧気に揺れる火柱だけが確かな存在として感じられる。意識を失う前に浴びせられたスプレーが何かは解らないが、霖雨の視力は著しく低下していた。
 耳だけを頼りに声の場所を探ろうとする。細められた目は驟雨と捉えられない。その霖雨の背後で、ゆっくりと立ち上がった伊庭が笑みを深くする。そして、拳を振り上げた。


「霖雨!」


 背後から突然振り切られた拳を、霖雨が避けられた筈がない。いとも簡単に吹き飛んだ霖雨は呻き声すら上げられず体を丸めて痛みを堪えている。その名を呼びながら驟雨は霖雨に駆け寄ろうとするが、人海戦術で挑む少年達に押さえ付けられ弾き飛ばされる。
 必死に伸ばした手も、声も届かない。蹲る霖雨の腹を伊庭が蹴り上げた。


「止せ、伊庭! お前の目的は俺だろう!」


 だが、伊庭はくつりと笑った。


「言っただろ。これは、処刑なんだ」


 何を言っても通じない。解り切っていた。驟雨は奥歯を噛み締めて目の前の少年を殴り飛ばした。
 反撃どころか身を守ることも、避けることも、逃げることすら出来ない霖雨は両手を封じられて芋虫のように無様に地を這うばかりだ。その目に何が見えるだろう。この状態で春馬に変わったとしても、何も出来やしない。
 けれど、それでも。霖雨は確かに目的を持って動いていた。伊庭がその腹を蹴り上げても、踏み潰しても、何度殴られても一心に何処かを目指している。血塗れの白い顔。目は焦点を結んでいない。なのに、霖雨は掠れるような声ではっきりと言った。


「――驟、雨」


 その言葉と同時に伊庭が霖雨を蹴り飛ばした。床に叩き付けられた霖雨が背を丸めて震えている。
 横っ腹に一発貰いながら、驟雨は胸倉を掴んでいた少年の頬を渾身の力を込めて殴った。すぐ後ろから振り下ろされた金属バットが右肩を打ち付ける。一瞬の目眩。だが、驟雨は振り返ってその凶器を掴むと勢い良く引き寄せ、そのまま少年の顔面に重い一撃を叩き込んだ。
 血を吐き出しながら、それでも霖雨は肩を床に擦りつけるようにして前に進む。芋虫野郎と伊庭が罵る。取り巻きの少年達が揺れるように笑った。


「みっともねぇな、芋虫が! 往生際が悪ィんだよ!」


 言うと同時に振り上げた爪先が霖雨を襲う。衝撃と共に噎せ返りながら、それでも霖雨は進むことを止めない。
 霖雨の掠れた声が、少年達の笑い声を打ち消すように驟雨の耳に届いた。


「格好良くなんて、無いよ」


 そんなことは知っているとでも言いたげに、霖雨は少しだけ笑った。笑う余裕などある筈も無いのに、その自嘲の笑みは驟雨の目に焼き付いた。
 焦点を結ばない目で、何処にいるかも知れない相手を睨むように霖雨がゆっくりと傷だらけの体を起こす。


「なあ、お前にプライドってあるか?」


 意味が解らないというように、伊庭が眉を寄せる。ある筈が無い。霖雨の問いに心の内で驟雨が答える。親の脛を齧って、弱者を集団で暴行して愉悦を感じているような人間のクズに、プライドなどある訳が無いのだ。
 視力は殆ど無かった。けれど、霖雨の目は見える筈の無い伊庭を真っ直ぐに捉えていた。


「俺も少し前までは、そんなもん下らねぇって思ってたけど、やっと解ったんだ」


 霖雨が何を言おうとしているのか、少年達に羽交い締めにされながら驟雨はその先を待った。こめかみを流れるものが汗なのか血液なのかも解らない。霖雨は体中の痛みすら忘れたように笑みすら浮かべながら言った。


「どんな時も諦めないし、疑わない。その不屈の心を、俺は親友から教えてもらったんだ。だから、絶対に諦めないし、お前なんかに屈しない。――それが、俺のプライドだ」


 はっきりと霖雨が言い切ったと同時に、一陣の風が吹き抜けたように感じた。驟雨は此方を振り返りもしない霖雨の横顔を見詰めながら、呆然としていた。
 霖雨は何時だって諦めながら生きてきた筈だ。それが彼の処世術だった。そうすることで霖雨が傷付かずに済むのなら、それでいいと思っていた。俺が守る。だから、無理に変わらなくてもいい。――でも、霖雨は変わろうとしている。他ならぬ自分の影響で。
 握り締めた拳が震えたのは痛みのせいなんかじゃなかった。
 なあ、お前、何でそんなこと言えるの? 俺のせいで痛い思いしてんだぜ? 俺はお前の嫌いな暴力振るって来た人種なんだよ? 俺のこと、嫌いじゃねぇの?
 何で見捨てないの。何で諦めないの。何で信じてくれるの。なあ、何で?
 自問し続ける脳内に、何時かの春馬の声がした。


――お前は霖雨にとって、初めての友達なんだよ


 ぐ、と眼の奥が熱くなった。零れそうな熱を呑み込んで、驟雨はじっと霖雨の背中を見詰めた。
 細くて小さい背中だ。今まで多くのものを失いながら、仕方がないと諦めて来た背中だ。でも、その目は真っ直ぐ前を見据えている。
 霖雨は目を閉じた。像を結ばぬ目ならいっそ見ない方がいい。闇に染まった世界は嫌に冷静にさせてくれた。


「声が聞こえるよ、伊庭。悲鳴と怒号と、呪いの言葉。お前の片足はもう、抜け出せない泥沼に嵌ってるんだぜ?」


 漆黒に塗り潰した視界だからこそ、目に見えないものが鮮明に拾い上げられる。
 時の扉にどれ程の禍が封じられているのかなんて霖雨には見当も付かないが、今この場に溢れる憎悪も相当なものだと解った。伊庭を恨む被害者達の声、少年達の悲鳴。凡ゆる苦痛が此処には溢れている。これはきっと、春馬が封じて来たものの縮図なのだ。
 瞼を閉じて口角を釣り上げる霖雨に、伊庭は苛立ったようにその目を鋭くさせた。その怒りに身を任せ、傍に落ちていた鉄パイプを何の迷いもなく拾い上げる。勘付いた驟雨が悲鳴のように声を上げた。だが、伊庭の持つ凶器は一瞬にして霖雨の頭上に振り下ろされた。
 耳を塞ぎたくなるような鈍い音。ゆっくりと霖雨の体が倒れていく。


「霖雨――ッ!」


 必死に伸ばした手は届かない、倒れ込んだ霖雨の顔は見えない。けれど、ぴくりとも動かない霖雨が無事な筈は無かった。
 頭部からの出血は地面に血溜まりを作る。伊庭は肩で息をしながら笑おうとし、失敗した。目の前にいる少年は動かない。このまま霖雨が死んだとしても、構わなかった。


「訳解んねぇ野郎だな。死んじまえ」


 驟雨が拳を握った。


「絶対に許さねぇ……」
「お前も訳解んねぇよ。何でこんな奴に構うんだ? 俺と一緒にいた方が、お前には合ってるだろ?」


 伊庭の言葉で、驟雨は中学時代を思い出した。
 剣術道場の跡取りとして育てられ、それ以外の自分は抹殺された。自分が何なのかも解らないまま周囲に反抗して、学校も殆ど通わなくなったあの頃、伊庭と共に喧嘩に明け暮れる毎日だった。幼馴染の香坂が心配してくれるのも煩わしくて突っ撥ねて、思えば今の伊庭と自分は同じだ。平然と人を傷付けて笑っていた。
 伊庭といるのは楽だった。許されない自分という存在が其処でだけは自由に表すことが出来た。そう思っていた。抑え切れない衝動を思いのままに爆発させたあの頃の自分は、触れるもの皆傷付けた鞘を失った刀も同然だった。
 それでも、何処かで虚しさを感じていた。その正体も本当は解っていた。
 伊庭は俺を認めてくれた訳ではなかった。暴れる理由を探していただけなのだ。それでもいいと思える程に追い詰められていたけれど、本当の居場所は此処ではないのだと何処かで確信していた。

 俺は、友達が欲しかった。
 俺が俺らしくいて、それでもいいよと認めてくれる友達が。どんな時でも裏切らない、裏切れない親友が。

 見知らぬ子どもの投げ捨てた絵画を、事情も知らない癖に川にまで飛び込んで取りに行くあのお人好しを、俺はずっと覚えていた。友達になろうと手を差し伸べたあの屈託の無い笑顔を、ずっと待っていた。


「――お前には解んねぇよ」


 何より、解って欲しくない。
 驟雨の目に奇妙な光が宿る。それは伊庭さえも竦ませる程に獰猛で鋭い眼光だった。


「そいつといると、すげぇ嬉しいんだよ。何の確証も無いのに、何の利益も無いのに、無条件に俺を信じてくれる。友達でいてくれる」


 友達が欲しかったのは霖雨だけじゃない。
 当たり前のように其処にいて、いなくなれば心配して探し、何があっても信じて居場所を残していてくれる。
 諦めの悪さを自分から学んだというのなら、自分は霖雨から信じる心を教えて貰った。純粋さを、素直さを、優しさを、強さを。


「そいつに言われたんだ。何があっても信じてる。だから、俺が裏切っても見捨てても構わないって。……俺は絶対に裏切んねーし、見捨てねーと誓ったよ」


 驟雨は笑っていた。そんな状況ではないことは、驟雨自身が一番良く解っていた。
 動揺を隠せない伊庭の顔に失笑する。まるで、その足は霖雨の言う通り本当に泥沼に嵌り込んでいるようだった。







2011.6.20