戊辰戦争の折、討幕派によって歴史から抹消された国が一つある。百五十年の月日が経過した今となっては殆ど全ての人間の記憶からも消え去り、その国の名を口にする者はいない。けれど、何の因果か百五十年の時を越えた一人の魂によって、その国の存在を調べることとなった樋口は、既に二十時間以上パソコンに向かい合っている。
 自らを朱鷺若という国の侍だと名乗った男の言葉が嘘だとは思えなかった。けれど、どんな歴史書にもそんな国の名前は載っていない。驟雨の記憶を頼りに朱鷺若の地形や方角などから割り出した大凡の地域。その中のある古寺に、一冊の古びた本があった。それこそが朱鷺若の存在を証明する唯一の証拠だった。
 山奥の小国、名は朱鷺若。戊辰戦争の折に滅亡したと記されている。また、その本の中に『驟雨』の名があった。
 国の警備を行った烈火隊と呼ばれる自警団。副長の名は桜丘驟雨。紅く光る刀を握り、戦場を駆ける彼の周りには常に血が霧のように舞っていたということから血の霧雨と呼ばれた。
 俄かには信じ難い話だ。だが。


 三間坂の隠れ家と思わしき場所へ乗り込み、迎え撃つ銃弾の嵐を物ともせず、赤子の手を捻るが如くたった一人で、一本の警棒で制圧した男を目の前で見れば信じない訳にはいかなかった。
 乗り込む直前に樋口の警棒をその手に持った時は何をする気かと思ったが、全ては一瞬の出来事だった。
 俺がやる、手を出すな。そう言って正面から乗り込んで行った驟雨が後ろ手に扉を閉めた瞬間に蜂の巣を突いたように銃声や怒号や叫声が響いた。けれど、十分も経たない間に静まり返った部屋から出て来た驟雨は傷どころか返り血一つ浴びてはいなかった。


「お前は何者なんだ……?」


 無意識の内にそう呟いた樋口の声を聞き、驟雨は視線を外へ流しただけだった。
 一秒でも惜しいと言うように、次の隠れ家と思わしき場所へと向かう車の中は静かだった。驟雨は暫くの沈黙の後で、気まぐれのように答えた。


「過去のことなんざ、もう興味が無い」


 そう言った驟雨には、後ろに飛んでいく景色など見えてはいないだろう。退屈そうに唇を尖らせながら、心の中ではただ一つのことを思っている筈だ。
 霖雨からのビデオレターが届いてから、驟雨は寝る間も惜しんで戦おうとする。元々幽霊だという不確かな存在ながら、実体として存在する現在は食事もすれば睡眠も取る。けれど、必要最低限のものしか摂取しないその生き様はまるで霖雨への償いのようだった。





Act.13 co-dependency.





 香坂が漸く合流したのは、夏も終わろうとする九月半ばのことだった。
 霖雨が連れ去られてから随分と時が流れたけれど、一向に手掛かりは掴めないまま虱潰しに隠れ家を探す始末。先の見えないトンネルに迷い込んだような日々に、樋口は疲れ切っていた。けれど、常に第一線で乗り込んでいく驟雨を見れば弱音など吐けなかった。デスクワークに悲鳴を上げていた日々を思い出して苦笑する。
 暫く会わない間に随分と痩せた二人を見て、香坂は息を呑む。普段から飄々とした態度を崩さない樋口でさえ目の下に隈を作っている。驟雨は香坂を見ても何も言わなかった。ただ、瞳には変わらず金色の炎が瞬いている。
 香坂は脇に抱えたファイルから、一枚の紙を取り出した。


「入院している間に、色々と調べた。三間坂のこと、霖雨のこと、驟雨のこと、朱鷺若という国のこと」


 手に持った書類に目を通しながら、香坂は言った。


「三間坂が幼い頃に住んでいたという家が残っていた。何か手がかりがあるかも知れない」


 溺れる者は藁にも縋るという。驟雨はそんな気持ちで香坂の話に頷いた。
 三間坂が何者なのか、どんな考えを持っているのか。そんなことはどうだってよかった。三間坂が世界中に核弾頭を打ち込もうが、戦争を仕掛けようが構わなかった。ただ、霖雨が幸せなら。
 車は香坂を乗せて走り出す。運転する樋口の手付きは実にスムーズだ。助手席で道案内をしながら、香坂は後部座席の驟雨の様子を窺う。外ばかり眺めるその姿は何処か痛々しかった。
 

「……霖雨からの便りは、無かったか」


 独り言のように、驟雨がぽつりと呟く。香坂はばつが悪そうに目を伏せる。
 あのビデオレター以降、何の手掛かりもない。焦燥感が背を焼く。


「……ああ。今のところは、な」
「そうか」


 解っていたとでもいうような素っ気無さで、驟雨は言った。重い沈黙が車内を占拠する。けれど、それを阻むように香坂が言った。


「お前等のことも調べたんだ」


 またファイルから数枚の書類を取り出し、香坂は目を落とす。


「お前等の話から条件を絞ることである程度のことは特定できた」
「それで?」
「霖雨の戸籍は存在しなかった。誰にも知られず産み落とされた霖雨という存在は解らないが、両親には戸籍がある。それが事実上の夫婦であっても、記録は残る。あいつの本名は……、常盤霖雨」


 告げられた霖雨の本名を、噛み締めるように驟雨が復唱する。


「あいつの父はある地域を治めていた地主だった。妻は子どもを宿し、夫婦は幸せだった。だが、国からの圧力によって父は財産を失い、妊娠した妻を連れて逃げるように山奥の村へ移り住む。だが、余所者を受け付けぬ風習から村八分にされ、心身共に追い詰められていた……。そんな中で、霖雨は生まれた」


 驟雨は窓の外を眺めながらも、その話を静かに聞いていた。
 これは証拠など何もない憶測に過ぎない。驟雨が一言でも否定すればそれまでの話だ。けれど、決して否定しようとしないのは、霖雨のことが少しでも知りたいからだろう。
 ただ守る対象でしかなかった霖雨。けれど、驟雨は霖雨と離れて初めて守られていたのはお互いなのだと気付いた。そして、霖雨が驟雨のことを何も知らないように、驟雨もまた霖雨のことを知らないのだ。
 少しでも彼の情報を得ることで、離れてしまった物理的な距離を埋めたいのだ。


「その村の人間が、人とは思えぬ程に美しい子どもを見たと言っていた。常に傷を作るその子どもは、誰もいない場所に話し掛けるなどの奇行が目立ったそうだ。……心当たりがあるんじゃないか、驟雨」


 そう言われて、驟雨は漸く皮肉っぽく笑った。


「ああ。恐らく、事実だろう。実際にあいつは酷い虐待を受けていたし、周囲の人間は助けてはくれなかった。俺と話をする霖雨を不気味がっていたのも……心当たりがある」


 言葉の最後は消え入りそうな程に声が掠れていた。
 驟雨は自分の行いを悔いていた。あの頃、幽霊であった常人に見えない筈の自分を唯一見付けてくれた霖雨。自分の元へ度々訪れる霖雨が周囲から気味悪がられていることは解っていた。けれど、驟雨は、自分の元に来るなと彼を突き放すことが出来なかった。それは、驟雨こそが誰よりも霖雨という存在を必要としていたからだ。
 他の誰でもない驟雨を当たり前のように驟雨と呼び、その存在を認めてくれたのは霖雨だけだった。無力な自分を嗤うことも罵ることもせずに、微笑んでくれたのは霖雨だけだった。その存在に救われたのだ。
 彼を救う術を持っていながらも、自らのエゴの為にそれを使うことが出来なかった。結果、霖雨は傷付き、自分は彼の傍にいることも出来ない。
 こんな自分を、霖雨は笑うだろうか。……笑ってくれるだろうか。


「驟雨……」


 窓の外を遠く見つめながら、額を押さえる驟雨の姿は痛々しい。香坂は声を掛けようとして躊躇した。けれど、この車内の重苦しい沈黙を振り切るように言った。


「俺はあいつが可哀想だなんて思わねぇよ。そんなもんはこの世に有り触れた悲劇の一つでしかない。それに何より、あいつは笑っていただろう」


 その笑いが示すものが何なのか、香坂には解らない。他者を欺く為の仮面かもしれない。自分を守る為の処世術かもしれない。けれど。


「あいつにはお前がいた。絶対に裏切らない、裏切れない存在。それはとても、幸せなことだ」


 香坂が思い出したのは、自らの過去だった。
 拉致され、両親を国によって抹殺され、独りきりで生きなければならなかった。周り全てが敵だと思った。常に緊張している状況では心は休まらず、いつだって疲れていた。心が死にたいと思う反面で、死んではいけないと脳が理解している。そして、何時死ぬかも解らない毎日。
 あの頃、もしも霖雨にとっての驟雨のような、絶対に裏切らない、裏切れない存在が傍にいてくれたのなら、自分の人生は何か変わっただろうか。


(……いや、きっと何も変わらなかっただろう)


 どんな存在が傍にいたとしても、最終的に決めるのは何時だって自分自身だ。香坂はこれまで自分の意志で生きて来た。例え何らかの大きな力が働いていたとしても、自分の人生に胸を張って誇れる。
 僅かな沈黙を挟み、静かな思考の後、香坂は正面を見据えた。目的地である三間坂の生家が、四方を囲む竹林に隠れるようにひっそりと佇んでいる。笹の擦れるさらさらという微かな音以外、何も存在しない。
 香坂は手に持っていた書類を几帳面にファイルに仕舞い込む。三人は車を降りた。踏み締めた地面は僅かに湿っぽく、褐色に染まった笹の葉に埋められている。
 物音一つしないその家には誰もいないようだった。一階の雨戸、二階のカーテンは全て閉ざされ、塗炭の壁は雨風に晒され風化しつつある。随分と長い間、人の手が掛かっていないようだ。
 家に近付こうと足を踏み出す驟雨に、香坂が思い出したように呼び掛ける。


「驟雨、お前に渡すものがある」


 そう言ってトランクから、白い布に包まれた棒状のものを取り出す。香坂がその布を取り払うよりも早く、驟雨が声を上げた。


「緋桜……!」


 半ば反射的に奪うようにその包みを手にして、驟雨はたどたどしい手付きで布を取り払っていく。そして、其処から姿を現した黒光りするものを震える掌でゆっくりと撫でた。
 それは、刀だった。黒漆の鞘に収まった長刀。本物の日本刀など初めて見た香坂にはそれがどういうものなのかは解らない。


「朱鷺若のことを記した本を保管していた古寺に、戦場で散った多くの命を鎮める意味で祀られていた。住職には無理を言って譲ってもらったが……」
「俺の、刀だ」


 ゆっくりと鞘からその刃を抜き放つ。百五十年の時を越えた刃は、錆一つ無く鮮やかな赤い光を放った。血と例えるには余りに儚く、花に例えるには余りに禍々しい。けれど、驟雨はそれを酷く愛おしそうに撫でながら言った。


「これと一緒に、脇差が無かったか?」
「いや、これだけだ」
「そうか……」


 落胆の色を顔に滲ませながらも、瞳には隠し切れぬ喜びが浮かぶ。霖雨を失ってから見せなかった穏やかな光に、その刀が驟雨にとってどれ程の価値を持つのかが解る。
 刀は武士の命だという。香坂にはそんな気持ちは解らない。
 抜き放たれた刃は紅い。波紋の乱れ刃はまるで桜の花吹雪のようだった。細身の驟雨には長く、角ばった大きな唾が何処か不釣り合いだ。けれど、ゆっくりと鞘に戻し、腰に差すと様になる。


「名は緋桜。斬り殺して来た敵や仲間、大勢の人間の怨嗟の念が籠った謂わば妖刀だ。俺の元に届くまでの間、お前に何も無かったのは奇跡だな」
「妖刀なんて」


 有り得ないと否定の言葉を口にしようとした樋口を、驟雨は無言のまま目で制した。


「物には魂が宿る。大勢の人間を斬り殺して来たこの刀に、何も無い訳がないだろう。こいつは持ち主を選ぶ。弱き魂は刀に呑まれ、血を求め彷徨う操り人形となる。嘗て、この刀を我が物としようとした男がいたが……、狂気の後に死んでいった」


 そんなオカルトは信じないという態度を崩さない樋口を見て、驟雨は少し笑った。
 信じようが信じまいが構わないとでもいうようだった。


「香坂、礼を言う」


 そうして短く答え、驟雨は真っ直ぐ歩いて行く。腰に差した刀の黒い漆塗りの鞘はところどころ剥げ、より一層不気味さを醸し出している。妖刀と呼ばれる理由が、香坂にも何となく解ったような気がした。
 建物の窓は全て錆び付いた雨戸で封鎖されている。動かそうにも動かず、苛立ったように雨戸を蹴り飛ばそうとする樋口の横で、驟雨は腰の刀に手を伸ばす。そして、ゆっくりと重心を下げ、紅い閃光が走った。
 音も無く十文字に切り裂かれた金属製の雨戸が、風に煽られたように静かに落下する。けたたましい騒音を鳴らし、雨戸は鋭い切り口を見せて無残な姿を晒した。
 驟雨の刀は既に鞘に収まっていた。嘗て三百人近くの人間を一本の包丁で、たった一人で殲滅した男だ。この程度は朝飯前だろう。
 何事も無かったかのように縁側に乗り込む驟雨の後を追い、香坂と樋口も建物に侵入する。
 閉じられた雨戸が作り出す暗闇の中、内部は噎せ返るような埃の臭いが立ち込めている。念の為と銃を手にする香坂と樋口に対して、刀に手を掛けようともしない驟雨はまるで地図が頭の中に入っているかのように、何の迷いもなく進んでいく。


「何処に行くんだ」


 不審そうに樋口が訪ねると、驟雨は振り返りもせずに答えた。


「気配は無いが、音がするだろう」


 言われて耳を澄ますが、二人の耳には外で笹の葉が擦れる微かな音が聞こえるだけだ。驟雨は軋む廊下を踏み付けながら歩く。


「地鳴りのような音だ。この下から」


 そう言って、驟雨は足を止めた。其処は台所だった。古びた木製の椅子と机には埃が降り積もり、リノリウムの床には壊落した天井の梁の破片が幾つか転がっている。随分と長い間、人の手にかからず放置されていただろう流し台にも埃が積り、当然だろうが水もガスも使えないだろう。
 けれど、それでも驟雨は目を閉じて耳を澄ます。


「間違いない、此処だ」


 そう言って膝を着き、埃まみれの床を見つめる。相変わらず、香坂と樋口には何の音も聞こえない。
 驟雨はゆっくりと腰の刀を引き抜き、床に切っ先を向ける。一瞬、鈍い音が響いた。そして、次の瞬間、地面に大きな穴が開いた。陥落した床板は漆黒の奈落の底に消えた。
 香坂はその底の見えない奈落の底を覗き込む。随分と広い空間がぽっかりと口を開けていた。


「何だ、此処は」
「俺が知る訳ねぇだろう。だが、音がするんだ」


 驟雨は膝を着き、何の迷いも無く飛び降りた。数秒遅れて着地の乾いた音がした。
 香坂と樋口は顔を見合わせる。其処の見えない場所へ飛び降りることを恐れない人間などそういないだろう。だが、立ち止まっていられないのも事実だった。
 意を決して飛び降りた香坂に樋口が続く。着地した地面には先程驟雨が切り裂いた床板の残骸が転がり、不安定な足場に体制を崩した。そのまま尻餅を着こうかという瞬間、闇の中で何者かの腕が香坂を支えた。
 闇の中を樋口の携帯が照らす。浮かび上がった影は驟雨だった。
 無表情に香坂を支えていた腕を離し、素早く踵を返して歩き出す。香坂は驟雨の支えた腕を見詰めた。
 彼は今、実体を持っている。幽霊として霖雨の中だけに存在していた不確かな存在ではないのだ。彼はもう霖雨がいなくとも自分自身の為だけに生きられる。それでも、頑なに霖雨へ執着するその意味は何だろうか。恩返しか、罪滅ぼしか。嘗て驟雨は、自分には霖雨しかいないのだと言った。本当にそうだろうか。
 明かり一つ無い道を、真っ直ぐに進んでいく驟雨の後を追う。先の見えない道は正に八方塞の自分達と同じだと思った。樋口の携帯が発光し、白く道を照らす。そして、驟雨は足を止めた。


「如何した?」
「……扉だ」


 言われて樋口は正面を照らす。其処には機械仕掛けの白い扉が行く手を阻んでいる。
 これまでの驟雨を見れば、こんな扉は一刀両断にしただろう。それでも、斬らないのは理由があるということだ。樋口はその扉に近付き、じっと見つめた。


「まだ、可動しますね」


 そう言って樋口は作業を始める。コンピュータは勿論、樋口にとって機械は全て得意分野だ。
 黙々と作業を続ける樋口の後ろで、驟雨はその場にしゃがみ込んだ。


「……疲れたか?」
「いや」


 驟雨は首を振った。


「目を閉じると、霖雨の声が聞こえる気がするんだ。俺を呼んでいるような気がする」


 目を閉ざした驟雨には青黒い隈が浮かんでいる。疲れているのだろう。当然だ。霖雨と離れてから碌に食事も睡眠もとっていない彼が、疲れていない筈がない。
 身体的疲労は既にピークだ。精神力だけで此処まで来た彼を支えるものはやはり霖雨なのだろうか。
 身元不明の美しい青年。自分のことすら解らない無力な霖雨を、それだけが救いだとでも言うように縋り続ける驟雨。彼等はまるで共依存だ。互いに助け合う姿は美しいけれど、一方でそれは酷く脆く弱い。


「俺を嗤うか、香坂」


 香坂の心を読んだかのように驟雨が言った。


「俺達は惨めか?」


 香坂は答えられなかった。


「……俺は戦争で故郷も仲間も全部失った。だから、俺はもう失いたくないんだ」


 力無く驟雨が笑う。彼が笑ったのを久しぶりに見たような気がした。それと同時に、樋口の前でゆっくりと扉が鈍い音と共に開く。そして、突然光が満ちた。


「ついでに電気も点けました」


 そう言って笑う樋口は何処か楽しげだった。驟雨は重い腰を上げると扉の中へと入っていく。
 後を追った香坂が見たものは壁一面に機械が埋め込まれた異質な部屋だった。正面には大きなディスプレイとコントロールパネル。埃のない室内は最近までこの場所が使用されていたことを証明している。


「何だ、此処は」


 思わず呟く香坂の横で、樋口がコントロールパネルを調べ始めた。
 専門外だろう驟雨は興味深そうに周囲のコンピュータを眺めるだけだ。そのとき、低い音を立てて正面の大きなディスプレイに映像が浮かぶ。驚いた香坂が駆け寄った。


「起動したのか?」
「はい。……あっ」


 映像が浮かんだと思った瞬間、まるでシグナルのようなブザーと共に中央に現れた小さなウインドウ。


「誰かがこのコンピュータにアクセスしています」
「接続しろ」
「はい」


 初めて触れた筈のコンピュータを手足のように自在に操り、樋口はディスプレイに更なるウインドウを開いた。


「Skypeですね」


 小さなウインドウには白い壁が映っている。けれど、其処に一人の男が現れた。
 忘れることのできる筈のない、美しい青年。


「――霖雨ッ」


 驟雨が叫んだと同時に、画面の向こうで霖雨が微笑んだ。




2011.1.16